「オカマ」ってコトバが安易に使われ過ぎてる

「オカマ」ってコトバ、どう?たしかに安易に使われすぎてるコトバかも。この「オカマ」というコトバ、セクシャルマイノリティの人々自身が自らのプライドを示すコトバとして使う分にはいいんだけど、やっぱり安易にマスメディアにのせるコトバではないのではないかと、僕は思っています。大人だけのハナシですむのならまだイイんだけど、「オカマ」というコトバに傷ついてしまうのは、主に子供たちなんじゃないかと思うからです。ゲイの多くは、子供の時からゲイです。子供にもセクシャリティはあるのです。僕だって、子供の時からゲイでした。物腰はどことなくフェミニンで、ほかの男の子達とはあきらかに違っていました。「仮面ライダーごっこ」では山本リンダ、「ゴレンジャーごっこ」では「モモレンジャー」、「キーハンターごっこ(古くてわかんないかな?)」では「襲われる松岡きっこ」しかやらせてもらえませんでした。

クラスメイトから「オカマ!」「オカマ!」と、いじめられることもしょっちゅうでしたし、教師に「立ち居振る舞いが女性的(さすがにオカマとは書けないよね)」と通信簿に書かれてしまったこともあります。家庭訪問の際に母親に「オカマのケがあるんじゃないか」揶揄的に話されたこともあります。いちばん辛かったのは、クラスメイトとちょっとケンカをすると誰しもが私のことを「オカマ!」「オカマ!」と言って攻撃してくることでした。セクシャリティとは全く関係のない話で意見が対立しようとも、必ずセクシャリティの土俵に引きずり出されて攻撃されてしまうのです。時には、集団対一人で四方八方から「オカマ!」のシュプレヒコールを浴びてしまうこともありました。自分がセクシャルマイノリティじゃないというだけで、まるで「そうする権利がある」とでも言うかのように「オカマ!」という罵声を浴びせかけてくるのです。子供の世界では、そういうことが多々繰り広げられてしまいます。

自分を信じ、自分を受け入れ、人生を切り開いていく…そんなことは子供にはムリです。子供は、無力です。罵声を浴びせる周囲の人たちを「間違っているのは彼らなのだ」なんて、到底思えません。みんなのように振る舞えない自分を、心の底から嫌ってしまったりするのです。情に訴えかけるような文章になってしまって恐縮なんですが、子供の時に同じような体験をするゲイは多いはずです。「オカマ」というコトバを耳にしただけで、「ザラッとしたもの」を感じるのは、やはり、その時の自己憎悪や恐怖や屈辱感が心の中に根強く残っているからなのだと思うのです。

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